本文へスキップ

大田区中央の入れ歯専門デンタルクリニック。矢口記念大森ユニオン歯科です。

電話でのご予約・お問い合わせはTEL.03-3776-0108

〒143-0024 東京都大田区中央3-5-6

 

院長ブログDr.Abe's blog

矢口記念大森ユニオン歯科設立の理念

平成25年7月31日
歯科医療の中でも特に義歯は、歯科医が治療し、受けた患者が治るという一方的な関係で成功するものではありません。義歯の使い手である患者さん自身のセルフコントロールの如何に因るところが大きいからです。歯科医をはじめとした我々スタッフと患者さんはユニオンのパートナーとして一致協力して行くことが大切なのです。
私は、和敬清寂といういう言葉に、その求められる境地が示されていると想います。
「和」
和合、調和、和楽、平和。日本人の心。聖徳太子17条の憲法、和(やわらぎ)を以て貴しと為す[私心(党派的こだわり)をなくして穏やかに公平な議論をすれば、結論は道理に導かれる]の精神。
「敬」
敬意、敬愛、尊敬の心をもってお互いに接遇する。人ばかりでなく、全ての事物にも同じように相対すること。したがって、自分に対しては慎み深く、無私の心がけを大切にしなければならない。
「清」
清潔、清廉、清浄。清らかな、清々しい心で人や全ての事物に接すること。
その心がこもった所作が、そのまま周りの全てを清め、清浄に変えてゆくことにつながる。
「寂」
侘び寂びのサビ。大自然や歴史、伝統、古いものなどに備わる本質的な美しさの一つで、静かな寂しさを内在している。全ての人の営み(自然の一部)にも「一期一会」の出会いと別れ(の美)があり、これがやがて涅槃寂静(釈迦の悟りの境地)に至る道に人が導かれる因縁なのであろう。

矢口静雄氏のご逝去

平成25年8月27日

本院設立の基を作られた矢口静雄氏が7月29日に96歳で亡くなられました。できればもう少し長生きしていただき、本院の発展を見守っていただきたかったと思うと非常に残念ではありますが、致し方ありません。
開院してほぼ1周年になるこの機会に、約20年前に私が最初に義歯治療をさせていただいた時に戴いた最初のレポートと、続けて教材用に作らせていただいた2組目の義歯の体験レポートを紹介させていただき、あらためて矢口記念大森ユニオン歯科の原点(設立の理念)を再確認すると共に、矢口さんを偲びつつ謹んで心からご冥福をお祈りしたいと思います。

















《以下原文のまま》
入歯体験レポート No.1 矢口静雄 大正7年2月19日生78才 
前歴:約9年前上、右犬歯を除き総入歯 
状態:上下歯根沈下のためかみ合わせ不良 
経過:(新品制作) 
平成8年3月29日ケンマ終了 上下嵌着(カンチャク)感覚 重ッタルイ 重圧感 カム ガリガリシテ食物マヅイ。上は神技 下が歯根ト仲ガワルイ。食事中オドル 歯根ヲコスル。充血、異和感 異物拒否反応、炎症 老人ノ過敏症シゲキトル。シカシ、狎レと順応モアル。顔付キハ優良、口元ハ美シイ、タレタ顔ガ復元シテ人相ガヨイ。新シイ靴ハ“ハキナラセ”ト言イキカセル。肩ガハリ後頭部ガ重イ。酸味ノ食物ガキライニナル。ノドガ乾ク。ダ液ガデル。ショッ中イレバガキニナル。
8.4.2夕方 下歯ガ食事中踊ルノデ歯ぐきヲコスッテ痛イ。家内ニススメラレテ、ポリグリップ(原産国:アイルランド、小林製薬発売)ヲ使用。クッション(かんしょうする)、コーティング(皮膜)、潤滑作用、粘膜保護の利点があると思う。口内グチャグチャした感じがあるが食事が稍安全に出来る。食事も快方に向い違和感、不快感がとれて使用している感じが抜けて安心感が出る(自分のもの)
8.4.3 朝、夜間、洗浄液ニヒタシタモノニ再ビグリップヲ塗リ(約3ケ所ヅツ)嵌着。違和感ナク安定感。ヤレヤレト思ウ。食事モ大口開ケズ使用デキタ。食事後洗浄シテ嵌着。グリップ若干残リソノママペタリ。楽。横ニコスッテモグニャグニャして粘膜面にカリカリしない。義歯ニナレタコトモアル。肩ノコリナシ。後頭部ノコリ、老人ノ過敏症モ消エタ。当分コレデイケル。10ネンハ生キテ旨イモノヲ食ベヨウ。有難ウゴザイマシタ。 −カタカナと平がな混同して申訳ありません−

8.4.4 夜間 就眠中 ポリグリップをつけ嵌着して休んだ。少し重い感があるがよくなじんで自分のものとなったような感じである。朝食もそのまま食し食事後洗って又グリップ使用した。グリップは靴で言えば靴下の作用があると思った。そんな感じで安定して違和感がなくなって来た。グチャグチャはいやだが仕方があるまい。
4月22日(月) 上歯は自分のものと全く変りない。むしろもっと頼りになるようだ。下歯は使用中八方に動くので“ポリグリップ”を左右のくぼみに米粒大おいて、クッション粘膜保護、粘着、潤滑、皮膜の作用で自分のものとして漸くフィットし出した。ギューとかみしめる気分はまことに生きる喜びを感じます。下歯右臼歯裏側のアタリは馴れてきたが、
4月25日(金)少しスッて貰って方がいいように思える。しかしガタガタになるのが恐しい。
むすび  4週間の狎れと辛棒が大切。幼児の自分の歯でさえも出る時はむずがゆく大変なのだ。チョッとの辛棒と努力、医師の親切のお蔭で食物がギューとかみしめる楽しさが貰えるのである。
4月25日昼食にはポリグリップの必用はない。助かった。でも具合悪ければ一寸使用すればよいと思えば安心である。歯ぐきを練りハミガキでこすって洗うと非常に気持ちがよい。

御報告書(H8.5.17)カルテ番号9601090義歯患者 東京都大田区中央3丁目5番6号 矢口静雄 大正7年2月19日生 78才 科目総入歯
5月13日(月)15:30完成 調整 検査
当初の分(使用中の分)……………… Aとする
教材用(2個目)……………………… Bとする
AおよびBを頂いて使用開始 A夜間洗浄液 B使用就寝
5月14日(火)少し堅目。左右大小臼歯がガッチリかみしめられる 大き目 ヒールの稍高い靴を履いた感じ。重量感。安定感あり 稍々堅目の感じ。時間が経つと馴れてきた。大口を開いても下歯がとび上がらない。上歯は最初から吸いついて不動。ウント大口を開くと若干浮き上がるが気にならない程度。頬っぺたがふくらんでいる様な感じ。違和感 不快感なし。人相がよく。元気そうに見えて気持ちよい。 
5月15日(水) 調整を施す。 なじまないので削りすぎたのかも知れない。歯根の炎症が納まって落付いてくると歯根が沈んで隙間が少し出来たのかもしれない。しかし Aは軽やかに使えて疲労が少い。
以後1日置きにA,B交替に使用。その間洗浄液に漬けておく。タヌキの歯ブラシで中性洗剤で洗う。
5月17日(金) 前夜Bを使用して就寝。朝食の具合が非常に良好。すっかり自分のもの。快適 壮快 充実感。自分の歯よりずっと良い。助かったと言う感じ。鏡の顔が笑っている。
結び。 2セットがあった事が非常に良かった。
Aは練習馴らし用
Bは完全完成品
☆ メリットとして@絶えず交替して清潔に保全
          A紛失、破損の不安がない。
          B摩耗の進行が半減できる
          C自然の汚れ色変りの進行が半減できる
          D常に清潔・常に新鮮である
☆ 提案 老人の健康は先づ歯科から始まり 老人の楽しみは食べる楽しみが大切である。その為め、義歯の役割りが不可欠であろう。その方法として今回のように2セットの作製プロセスがある事がどんなによい事か体験的に申し上げられる。全国の医師と厚生省の御理解を得たいと思ういわれ所以である。必用あれば関係庁の担当官に御報告申し上げたい。









お彼岸に想う

平成25年9月23日

 お彼岸に父の墓参りに出かけた時、霊園の中に彼岸花を見つけた。もう何年も通っているのに彼岸花に出会うのは初めてのことだった。人は思いがけない出会いや、期待していなかった満足感を得た時など、驚きと感動を覚えるものだ。開設一周年を迎えた矢口記念大森ユニオン歯科に対する、父と矢口静雄さんからのエールなのかも知れないと思う。
 彼岸花は里山の花でもある。 実は今、藻谷浩介とNHK広島取材班の「里山資本主義」を読んで少しく影響を受けていることもあり、里山に思いを巡らせている。子供の頃に遊んだ田舎を懐かしく思い出す。







 そんなわけで、墓参りの帰り道、高尾の駅近くにある多摩森林科学園に寄ってみることにした。保存林としての樹木園は非常に素晴らしく、静かな森の自然を満喫できるが、里山としての側面、人が手入れしながら森林の科学的研究も行っており、随所に自然から学べる様々な解説や展示なども見ることができる。さらにその里山の歴史に触れる一文を読んで、日本人が如何に森林を大切にして来たのかを改めて考えさせられた。無断伐採は死罪の極刑である。
 足元を見ると、落ち葉やどんぐりの中にあぶら蝉の死骸を発見して、夏の終わりと季節の移り変わりの寂しさを感じる。想えば、里山にはいつも新しい発見があり、とりどりの感動に満ち溢れていたものだった。




 高尾にはJR中央線と私鉄の京王線が通っている。私は、渋谷を経由するので京王線を利用することが多い。すると最近、「動物にも人間にも、里山がいちばんなんだ。」という多摩動物公園のポスターを見つけてしまった。キリンの群れを背景にして、園長さんが腕組みをして笑っている。招待されて大相撲を見に行けば、またまた十両に里山という小兵力士がいることを発見して、何となく応援したい気持ちになった。
 今年は、多摩地区が東京都に組み入れられて140周年なのだそうだが、考えてみれば東京23区に対して多摩地区は、正に東京の里山と言えるのではないだろうか。里山の大切さを考えるとき、土地利用に開発するばかりでなく、人間や動物と共存する生命体としての森を守り育てる必要があるのではないか。




 この写真は、私のある患者さんに作って差し上げた入れ歯とその携帯用ケースである。あたかも指輪かブローチなどのアクササリーを入れたようでもある(と感じて下さるだろうか?)。実際この患者さんにとっては、この2個の入れ歯は宝石以上の「宝物」になったのだ。ここには、歯科治療の一般常識を超えた時に得られた「感動」の体験があった。私たち医療者と患者さんがそれを共有できた証がこの写真に示されている。
 入れ歯の常識の一つに、同時に2個の入れ歯は使えない、というのがある。何故なら、必ずどちらか一方の具合が良く、そちらばかりを使うようになり、もう一方は使わないということになるからだ。この患者さんは、非常に具合よく使えている入れ歯が、もし壊れたり紛失したりしたらどうなるかという不安をなくすためにもう一つ、全く同じものを作って欲しいと望まれた。歯科医と技工士にとっては、義歯の常識への挑戦ではあったが、これまで培ってきた技術や経験と患者さんの理解や信頼関係から、必ず成功するという自信はあった。しかし、実際、既に数年具合よく使用してきた入れ歯と、新しく出来上がった入れ歯が全く同じように入るだろうか?
 完成した入れ歯を装着した時、無調整で口の中に納まり、咬み合わせられた後に、最初の感動が患者さんの言葉になって表れた。「ピッタリです。すごい。ありがとうございます。」
装着感も、咬合感覚も今のものと差を感じないという。歯に対する入れ歯の適合精度や咬み合わせの感覚は数十ミクロン以下の精度を必要とする。私たちとしては、予定通りではあるが、上手くいって正直ホッとした。患者さんが感動して下さると、こちらも一緒にそれを味わうことができる幸せ。補綴臨床の醍醐味と言えるひと時である。ユニオン歯科の所以を再確認する。
 私には、この感動を少し形に表したいという想いがあった。ただ単に、小さな二つの入れ歯が置いてあるだけでは、この入れ歯の素晴らしさ、感動は何も伝わらない。そればかりか、いつ紛失してもおかしくない小さな二つの入れ歯なのだ。宝石箱に入れてもおかしくないと思っているのだが、身の回りには適当なものが無い。そこで、小型の入れ歯ケースに二個一緒に収納し、携帯できるようにちょっと工夫をして、患者さんに差し上げたのが、上の写真であったのだ。素晴らしい入れ歯には、それに相応しい入れ物があると良いと想っているが、今のところそういうものはまだ見つからない。

お会式

平成25年10月12日

 矢口記念大森ユニオン歯科は、JR大森駅と蒲田駅のほぼ中間に位置し、池上通りに面している。池上本門寺は、当院から徒歩15分程のところにある日蓮宗大本山で、私も裏手にある梅林や墓地にある力道山のお墓などには何度か足を運んだことがある。
 しかし、お会式は、たまに話に聞くことがあっても、今まで一度も関心を持ったことはなかった。読み方も“おえしき”なのか“おかいしき”なのか分からず、勿論その意味も全く解らないままだった。日蓮上人や仏陀の威徳を忍び、その霊に“お会い”する、と解釈しても良いだろう。
 ご縁とは不思議なもので、ご近所になれば自然に関心を寄せるようになり、少し調べてみると、今まで気が付かなかったり、忘れていたりしたことも思い出したりして、やがて今までになかった“新しい繋がり”が見えてきて、新鮮な驚きを感じる。自分の心の中にも“お会式”があるのだ。



 日蓮宗の多くの会派では、日蓮の命日10月13日(太陰暦)にあわせて法要を営み、特に、池上本門寺には毎年数十万人の参拝者が訪れる大きなお祭りになる。命日の前夜をお逮夜(おたいや)といい、各地から集まった檀信徒の集まり(講中)が、行列になり万灯(まんどう)や提灯(ちょうちん)を掲げ、纏(まとい)を振り、団扇太鼓(うちわだいこ)や鉦(かね)を叩き、掛け声やお題目を唱えながら表通り、参道、境内を練り歩いて行く。
 他にも、浄土宗では法然の両親を供養する行事をお会式と呼び、聖徳宗法隆寺では、聖徳太子の命日にあわせてお会式が行われるという(ウィキペディアより改変)。
 講中の行列の先頭は提灯や幟旗を掲げ、続いて一人ないし三人の纏振りがパフォーマンスを繰り広げる。さらに独特のリズムを刻む笛や鉦太鼓の演奏とそれを盛り上げるリズムに乗った踊りや掛け声の一団が続き、最後尾を大きなしだれ桜風の飾りの中に明かりを灯した五重塔のような万灯(万燈)が小刻みに揺れながらゆっくりと運ばれて行く・・・、



 俳句の季語にも、お会式、万燈、御命講、日蓮忌、御命講花、とある。
四階にある当院の窓から見下ろし、初めて見た万灯行列の情景そのままのような句があった。
 鉦太鼓聞こえ万燈まだ見えず 後藤図子
診療室を片付けていると、鉦や太鼓のお囃子が聞こえて来たので、どれどれと窓を開けてみたのだった。やっと先頭が見えるだけ。行列はとてもゆっくりと進むので、万灯が見えるまでには数分の時間が必要だった。片付けを終えた後表通りへ出た。見物の人混みの中を本門寺下の東急線池上駅前まで歩き、次々と通る行列を暫し見物しながら、今まで日本のお寺や仏教に感じたことのなかった力を感じていた。これはお寺にある力ではなく、信仰する人々のもつ力、エネルギーなのだ。しかも日蓮上人という稀有の存在があってこそ生まれたものだ。日頃感じている静かなお寺の佇まいやお坊さん達に接しているだけでは全く解らなかった不思議な熱と力がある。
 万燈の花ふるへつゝ山門へ  山口青邨
 これぞ正に万灯行列の真髄というところを捉えている句と想う。華やかさと悲しさ寂しさを併せ持つ万灯の、花をふるわせながら行列はゆっくり山門へと進んで行く。揺れるのではなく、震えているのだ。万灯には立正安国の文字も見える。
 今年は、日蓮の亡くなった時と同じように桜の花が咲いている。十月桜ばかりではなく、染井吉野も咲いたというニュースがあった。未曾有の震災・津波や軍事的動勢までも日蓮の時代に重なって見える。
 万灯や立正安国論今に
 人波にもまれ万灯進みゆく 
  實
俳聖芭蕉の句にもお会式は登場する。
 御命講や油のやうな酒五升  芭 蕉
素人の私には???(意味不明)である。調べてみると日蓮上人の書かれた弟子たちへの手紙の中に「新麦一斗や筍三本と共に油のような酒五升を供え、南無妙法蓮華経と回向致しました」という文章が遺されているのだそうだ。油のようなとは、どぶろくの上澄み即ち清酒と、底の澱即ち濁り酒の中間に、素晴らしく旨い油のような酒があるのだという。日本の酒文化の奥の深さを感じさせられる。そうと知れば、一度は呑んでみたくなるのが人情というものであろう。お会式の“お会”には広くこういう意味もあるのだと再確認する。
 因みに、芭蕉は10月12日に亡くなられたというから又不思議な因縁ですね。


日々是感動

平成25年11月30日



 情報社会と言われる今日、テレビ、ラジオ、新聞、インターネットなど、マスコミの発表するニュースは、正に情報の洪水のように溢れている。スマートフォンを歩きながら見る人が増え、死亡事故がニュースになるまでになったことは、皮肉なことだがそれを最もよく表している現象とも言える。日々のニュースには悪いニュースばかりでなく、もちろん良いニュースもあるのだが、情報の洪水にそのまま流されていると、とかく悪いニュースばかりに心を囚われ、溺れてしまうことにもなりかねない。心にしみる話や感動する良いニュースは自分で積極的に見つけて、しっかりと自分の成長の糧として蓄えてゆく必要がある。私が最近見つけた、そんな感動について紹介する。
 ひとつは、11月3日文化の日、今年の文化勲章受賞者の一人に俳優の高倉健が選ばれた。これは誰もが挙げる良いニュースであると思う。私の心に強く響いたのは、受賞が発表された時の高倉健のコメントだった。「今後も、この国に生まれて良かったと思える人物像を演じられるよう、人生を愛する心、感動する心を養い続けたいと思います」・・・。人生を愛する心、感動する心を養い続けたいという目標を掲げていることを聞いて驚嘆した。 映画を観る人が、日本人に生まれて良かったと思える人物像を自分が俳優として演じられるように・・・、何というプロフェッショナルな俳優魂!私は、この言葉に本当にびっくりしてしまった。今流行りの言葉では“じぇじぇじぇ”と言うのでしょうか。恥ずかしながら、高倉健の映画どころか、映画そのものをあまり観ることのない私ではあっても、この言葉を聴いて、高倉健という俳優がいかに素晴らしい人間であるか、日本を代表する、世界に誇れる映画俳優であるかということは(だからこそ文化勲章に値するのでしょうが)、直ちに理解できた。一方では、一流ホテルやレストランのメニュー偽装問題で次から次へと言い訳をしては頭を下げ続けるえらい人達や、福島原発問題や特定秘密保護法案などをめぐる政治家達の言葉や映像が溢れており、そこからは手本にしたくなるような日本人の姿など残念ながら全く見えてはこないのだから。
 私は素直に高倉健をお手本にしたいと思う。歯科医師として、特に補綴歯科を専門とする者としては、歯を喪失した人の人生に共感し寄り添うことによって、少しでもサポートできるよう毎日を精進して行きたいと思う。



                                 

 二つ目は、スポーツ。東京オリンピック招致に向けてパラリンピック代表佐藤真海選手の感動のプレゼンテーション、サッカーワールドカップ日本代表・ザックジャパンの更なる成長の姿−特にオランダ、ベルギー戦の活躍、などスポーツにまつわる感動は多くあるが、文化勲章と同じ11月3日の夜、プロ野球日本シリーズ第7戦が仙台で行われ、星野監督率いる東北楽天イーグルスが日本一に輝いた。負けないエース田中将大投手が、前夜の160球の直後にもかかわらず、9回の締めくくりのマウンドに立ち、15球を投げたことに多くの驚異の眼差しが向けられていた。東日本大震災被災地東北の、楽天球団創設以来9年目の、星野監督日本一挑戦4度目の夢が実現した。選手も監督も球場の観衆も球場外で応援する全ての人たちの思いが歓喜という形で一つになり、爆発したひと時になった。
 唐突に聞こえるかも知れないが、この歓喜の情景の中には「悟り」が体現されていると言って良いと私は思っている。仏教で言う悟りは、とても難しい凡人には簡単に理解できないものだという認識があるから、歓喜のスタジアムが「悟り」だなんて、それとはかけ離れているように思うかもしれないが、選手も監督も観衆も、大勢の人たちが無我の境地で野球一つになっている姿には、悟りが実現されていると言って間違いないものがあると私は思う。その理由についての解説はまたの機会に譲るとして、ここでは感動は毎日どこにでもあるのだということを忘れないようにしたいということ。



 最近はかなり冷え込んできたお陰で、当院では朝夕、診療室の窓から富士山が見られるようになってきた。富士山の姿を見るとやはり「わー富士山だ!」と心が明るくなる。夕焼け空に浮かび上がる“黒富士”(紅富士、赤富士に対して)の勇姿は実に素晴らしい。患者さんとその感動を共有できることも大森ユニオン歯科ならではの喜びである。
 今年は夏の猛暑と秋の台風などの天候不順で秋の訪れが遅かったせいか、実は先月から変えようと思っていて忘れてしまったホームページの診療時間とお問い合わせ枠の写真を夏から秋バージョンに替えた。目黒自然教育園に残された武蔵野の森の風景にも、日本人の心のふるさと里山の感動がある。

 「日々是感動」というタイトルの元ネタに「日々是好日」という言葉があるが、毎日の生活は平穏無事に過ぎてゆくのが幸せだ、という意味ではないと聞いて驚く人もいると思うので、先ずはその本来の意味を紹介しておくと、これは「日々の出来事が良くとも悪くとも、二度と無い一日として全身全霊で生きれば、どんな日でも好日となる」という意味で、唐の禅僧雲門の言葉だという。ある意味で全く逆ではないか。茶道の心である一期一会(利休の弟子山上宗二記)や、親鸞の、明日ありと思う心の仇桜、夜半に嵐の吹かぬものかわ(親鸞上人絵詞伝)と同じように、人生は平穏無事ではなく無常であるからこそ、今のひと時一日を大切に生きるという強い積極的な意思、心構えを表している言葉なのだという。
 しかし私は、今日も一日何事もなく平穏無事に過ごせて幸せだ、今日も一日良い日でありますように、と変わらない平穏無事な毎日を願うという意味の日々是好日も決して間違いだとか否定される解釈だとは思わない。むしろ一般的にはこちらの方が素直に受け止められる解釈ではないだろうか。
 この問題もどちらか一方が正しく、一方が誤りだと考えるのではなく、両方の意味があると受け止める方がより真実に近いという思いに至った時に、「そうなのだ」と何か腑に落ちるものがある。自然(この世の存在の全て)は何事によらず矛盾を内包した存在であり、自然の法則性を科学は明らかにする一方で、その総体は依然として未解明の混沌から成り立っている。人間が自然の何かに注目してその問題を考え始めると、そこに様々な概念が形成され、その意味を表す言葉が生まれる。それらの概念=言葉は対立する対の熟語を為すものが非常に多い。例えば、昼夜、明暗、表裏、善悪、硬軟、強弱、愛憎、生死、・・・などの対立概念が無数に生まれ出てくる。これはもともと自然に内在する矛盾の両側面を表す言葉だからであると思う。日々是好日という言葉においても、変わらぬ毎日と考えるか、無常の日々ととらえるかで大きく異なる両方の意味を内在しているのだということになる。人間の日々の暮らし自体が大自然の営みの一部であることを示している証拠と言ってもよい。
 私にとって、こういう思惟もまた日々是感動の一源泉になっているのだと思う。



誰も言わなかった歯ブラシの使い方

平成26年1月31日

 歯ブラシの目的は、歯を磨くことではないと言ったら驚くでしょうか? 結論(の一つ)を先にお教えしましょう。唾液の生理的機能を最大限に発揮することが、結果的に歯を虫歯や歯周病から守り、一生健康に維持することにつながります。そのために歯磨きをするのです!???
 私がこれからお話することを理解すれば、あなたの歯ブラシの仕方もすぐに今までとは変ってくるはずです。


図1
 この歯ブラシは、私が約3年間使用してきた市販の普通の歯ブラシです。一本の歯ブラシを3年間も使っていることは別にして、この歯ブラシ自体に一般常識的な使い方をしているものとは大きく異なる点が2箇所あります。どこだか分かりますか?



1.歯ブラシの毛先が開いたら新しいものに取り替える?


図2
 歯ブラシの毛先が開き、一本一本が細く磨り減っています。今の常識では、こうなったら新しいものに取り替えましょうと言われていることをご存知と思います。開いても磨り減っても新しいものと交換しないで3年も使い続けているのは何故でしょう?

 その答えは、ブラッシングの原理を理解して上手に使えば歯垢(プラーク)は十分に除去できるからです。では、ブラッシングの原理とは何でしょうか?台所や風呂場でたわしを使う時、狭い所やタイルの目地などをきれいにするにはどうすれば良いか、コートのほこりや毛くずを払うブラッシングの場合はどうでしょうか?そこに共通する基本原理とは何でしょうか。それは磨きたい所に毛先が当たること、です。狭いところ、タイルの目地の中に毛先が届かなければきれいになりません。ブラシの毛先が当たらなければ、コートのほこりや毛くずは落とせません。この至極単純な原理は歯垢を落とす歯ブラシにも当然当てはまります。しかし、この簡単な原理とは裏腹に、複雑で込み入った歯の形や歯並びとそれを取り巻く歯肉や舌などの軟組織の存在、口腔という前方にしか入口のない洞窟!が、ブラッシングの実際を予想以上に困難にしているのです。「磨いているけれども磨けていない」という現実がいかに多いかを見れば解かります。それでも、人間は脳を発達させ進化してきた霊長類です。真理を正しく理解すれば、そこに到達するまで成長努力を続けることができる特性を持っているのだと思います。真理に到達する道はもちろん一つとは限りませんが、今ここで考えているのは毛先が当たれば歯垢は取れるという一つの真理であり、磨きたいところに毛先を当てるという技術的な原理なのです。

 答えが少し見えてきたでしょうか?曲がって開いた毛先はどこを向いていますか。その曲がった毛先を使う磨き方はできないのでしょうか?  


図3
 歯ブラシを歯並びと平行に置き、開いた毛先を歯と歯の間に向ければ歯間部の奥に
毛先を届かせ易くなることが解ると思います。曲がって細くなった毛先の弾力が低下して刷掃能力は下がっているかも知れません。この磨き方を推奨しているわけでもありません。曲がった毛先でも当て方を工夫すれば使える場所もありますよ、ということを理解していただきたいのです。「歯ブラシは毛先が開いたら取り替える」という常識に疑問を投げかけているのです。


2.口の中に溜まった唾液は吐き出して捨てる?
 歯磨きをしていると、次第に唾液が出てきて口の中に貯まります。洗面所で磨いている人、歯磨き剤を使っている人では、おそらくほとんどの人は、無意識にそれを吐き出して捨てていると思います。テレビを見ながら、新聞を読みながら、と、「ながら磨き」をしている人は、おそらく飲み込んでしまう人と、貯めておいて洗面所まで吐き出しに行く人に分かれるでしょう。
 さて、これらの行動の裏にはどんな真理が隠されているでしょうか?唾液には、生理学的に様々な機能が認められています。消化作用が有名ですが、歯と粘膜の保護作用、抗菌作用、PH緩衝作用、咀嚼の補助作用、溶媒作用、洗浄作用、内分泌作用、等々たくさんあります。特に、むし歯予防の観点からPH緩衝作用は重要です。飲食によりPHの低下(PH4〜5)が起こり、エナメル質表層からカルシウムイオンや燐酸イオンを唾液中に溶出し、脱灰を起こして虫歯を発生し易くします。一方、よく噛むと唾液の分泌量が増えて次第にPHを上昇(PH約7)回復させると共に、唾液中のカルシウムイオンや燐酸イオンを歯質へ戻して再石灰化させるという働きがあります。最近、食後30分位は歯を磨かない方が良い、と言われているのも再石灰化を待つというのがその理由だと思います。
 しかし、ここにも非常に重要な原則があることを私は指摘したいと思います。それは、歯面と唾液が直に触れ合う状態であることです。ですから、よく考えれば、歯面に歯垢や食物成分の付着している時ではなく、プラークが取り除かれたブラッシングの直後に歯面を十分な唾液に浸すことこそ、唾液の緩衝作用を含めてその機能を最大限発揮することになることを納得いただけると思います。歯磨きの目的を、歯垢を除去することに終わらせず、それに続いて、十分唾液に浸すことを意識して行うことが重要なのです。したがって、歯磨き中に溜まった唾液は捨てずに磨き続ける方が良く、重力の影響で唾液は下顎に貯まり易く、上顎には廻りにくいので、貯まった唾液で口の中全体を洗う“ブクブクうがい”をすると更に良いわけです。更に、ブクブクうがいには、口輪筋や頬筋を鍛える効果もあり、よだれや誤嚥の予防にもなります。

青山常運歩
 常識を疑い、乗り越えた時に真理に一歩近づくことができる。これを曹洞宗の開祖道元禅師は、「青山常運歩」という公案で述べています。「いつも同じところに見える遠くの青い山も、動かないのではなく常に歩みを運んでいる」のだ、と一見した常識に疑問を投げかけているのです。「動かざること山の如し」という言葉もありますが、少し考えてみれば実際は日々変化し、姿かたちも変えているし、目に見えないその動きも、測量をすればはっきりと数字で示すことも出来ます。
 私たちの身体と心も青山と同じです。何も考えなければ、毎日変わらない「自分」がいると思っていますが、よく考えれば、60兆個の細胞は日々新陳代謝で入れ替わり、DNAも突然変異を起こし、経験や記憶は人を成長させ、心も精神も変化してゆくものだということが理解できます。


3.歯ブラシの柄の先が白く変色しているのはどうして?


図4
 青色をした歯ブラシの柄の端がささくれて白く変色しています。通常の歯ブラシの使い方では起きない変化ですから解らなくても当然です。毛先の変化と違ってこれは3年かかって起きたものではなく、実はここ1年間に起きたものです。



図5
貝原益軒「養生訓」 鶴見大学附属図書館所蔵

 歯科医師というプロフェッショナルな立場で、歯と歯周組織の健康維持を考えて日々これを実践する私にとって、自分の行動変容を起こすきっかけになったのは、貝原益軒の「養生訓」でした。それは歯磨きのことではなく、歯をカチカチと噛み合わせることが年をとっても歯を失わないことにつながるという記載でした。歯磨きのバックボーンになる重要な概念にプラークコントロールがありますが、それと並んで歯や噛み合せの健康を支える概念にフォースコントロールがあります。実はこの二つの概念は、もっともっと意味するところは広く深く、この地球(宇宙)に人間が生きてゆくための根本的な原理にもつながっているのです。つまり、細菌などの微生物との共存関係を上手に保つためのプラークコントロールと、宇宙に存在する物理学的な4つの力を上手にコントロールする、フォースコントロールです。福島の原発事故も東日本大震災の地震や津波の被害も、自然の力をコントロール出来ていない例と言えます。自然をすべてコントロールできると思うのはそもそも人間の思い上がりや勘違いで、常に自然は研究対象であり、学ぶべきものだということを忘れてはなりません。口の中に起こる自然現象においても全く同じことです。日常生活の中では、重力との関係を上手にコントロールできる人程、より高いパフォーマンスを発揮できることになるのです。口腔内環境を健康に維持するプラークコントロールと地球環境を守るエコシステムのコントロールとは相同です。それと並んで、姿勢を正し、左右均等によく噛むという動作は、背中を丸め片ひじ付いて食べる動作と比較して、より良いフォースコントロールを引き出し、健康を左右する生活習慣につながることを理解できるはずです。歯と歯周組織の健康を維持し、より良い全身的なパフォーマンスを発揮するための、毎日の基礎的トレーニング(養生法)は、歯をカチカチと噛み合せ、歯根膜に適度な刺激を与え、血行を良くし、骨に刺激を与え、脳をも活性化させるフォースコントロールなのです。そのように理解した私は、貝原益軒の言うように歯列全体でカチカチと36回噛み合わせるのに加えて、1本1本の歯と歯根膜を整えるために、歯ブラシの柄を噛むことを始めました。歯ブラシの柄でなくとも、割り箸や、硬めのゴム等適当なもので構わないと思います。歯根膜の体操、筋トレを実行することが大切なのです。実は1本1本の歯と歯根膜の健康状態は一様ではありません。一般に、虫歯で詰めたり、かぶせた歯、歯周病で揺れる歯、歯並びの悪い歯、根の治療をした歯、ブリッジの歯、入れ歯を支える歯、等々千差万別です。であるからこそ1本ごとにその健康度に応じた咬合力を掛けて、その歯の歯根膜の活性化を図る意味があるわけです。1〜2秒かけて徐々にギュ−ゥと噛み締め、歯根膜の応答を感じ取れるところまで加圧する。決して強く噛み締め過ぎてはいけません。自分でよく感じ取りながら確かめてください。

この続きは外部ブログサイトへ!



矢口記念大森ユニオン歯科矢口記念大森ユニオン歯科

〒143-0024
東京都大田区中央3-5-6
TEL 03-3776-0108

覚悟の瞬間 矢口記念大森ユニオン歯科 阿部實